こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

日韓併合


『安倍談話と歴史復興への道/安保法制と東・南シナ海の中国の侵略(『正論』2015年10月号)』


正論2015年10月号正論2015年10月号

日本工業新聞社 2015-09-01

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 (1)
東京裁判そのものと言って良いマッカーサーも米国上院軍事外交委員会で「日本が戦争に入ったのは主として自衛のためだった」と証言しているのです。
(渡部昇一「東京裁判史観を突破した「縦の民主主義」の歴史力」)
 渡部昇一氏が雑誌『致知』に寄稿している連載は私も毎月読んでおり、このマッカーサーの言葉がたびたび紹介されているのは知っていた。太平洋戦争(右派は必ず大東亜戦争と呼ぶ)では、アメリカの禁輸制裁によって石油などの重要物資が不足したため、打開策として東南アジアへと進出した。だが、果たしてそれを自衛と呼んでよいかどうかは疑問が残る。

 つい先日、安倍政権は安保法制を成立させ、集団的自衛権の行使が可能となった。ところが、例えばイランのホルムズ海峡封鎖によって石油が日本に入らなくなり、存立危機事態になったとしても、経済的理由によって集団的自衛権を発動することはできない、というのが政府の見解である。このロジックを太平洋戦争にあてはめると、あの戦争はどのように説明すればよいだろうか?

 (2)
 有識者懇談会の報告書に「植民地支配」とあることについても呆れてしまいます。一体、全くどうしてこんなに無知なのか、嘆かわしい限りです。日韓が併合した時の韓国とは何だったか。大韓帝国だったのです。それが日韓併合で日本と一緒になったのです。帝国がほかの帝国を植民地にすることなどありません。(中略)

 植民地支配というのはおおむね植民地先の住民を隷属支配し、搾取収奪を重ねます。しかし日本は違います。朝鮮の人々を日本国民として扱ったのです。鉄道や学校、ダムといったインフラを整え、教育で実用的な読み書きを普及させました。
(渡部昇一「東京裁判史観を突破した「縦の民主主義」の歴史力」)
 これも渡部氏がしばしば指摘することである。欧米の植民地支配では、現地のトップは欧米人ではなく現地人にするのが一般的だとされる。現地の事情は欧米人よりも現地人の方がよく知っているし、現地人は欧米人よりもやはり現地人に従う、というのがその理由だ。現在のグローバル経営にもその名残は残っており、グローバル企業が海外進出すると、現地企業のトップは必ず現地人にする。

 一方、日韓併合では、朝鮮半島を日本に改造しようとした。現地のトップは日本人が務め、朝鮮の人々に同化教育を施し、日本と同じような経済・社会インフラを整備した。欧米の植民地支配が現在のグローバル経営に影響を及ぼしているのと同様、日帝の支配も日本企業のグローバル展開に名残を残している。すなわち、現在の日本企業は、海外に進出しても、現地企業のトップを現地人ではなく日本人にする。そのため、現地人は出世の道がないと感じてモチベーションを失う。そのため彼らは、経営トップへの道が開かれている欧米企業を選択する。

 話を元に戻そう。日韓併合直前の朝鮮半島は政治的にひどく腐敗しており、ろくな教育が行われていなかった。そのため、前述のような日帝の政策を喜んだ人も多かったという(現在の韓国でも、日帝の支配を肯定的に評価する人の割合は、年齢が上がるにつれて高くなるらしい)。だが、同化政策とは民族アイデンティティの放棄を迫ることであり、見方によっては植民地支配よりも残忍かもしれない。

 (3)
 この海域(※南シナ海)は「日本の生命線」ともいえる重要なシーレーンである。日本人の生活に不可欠な石油の80%が通過するだけではない。日本とアジア諸国、さらに欧州、中東を結ぶ航路であり、日本人にとって必要不可欠な物資が通過している。(中略)南シナ海が紛争地域となり船舶の航行に障害が出た場合、「存立の危機」ということが当てはまるだろう。
(山田吉彦「海洋国家として生き抜くための安保法制」)
 (1)で述べたように、経済的理由で集団的自衛権を発動するのは難しいし、仮にそれを実行すれば太平洋戦争と同じになってしまうだろう。

 安保法制を支持する右派の人たちは、集団的自衛権が南シナ海における中国への抑止力となることを期待しているが、この点が私にはどうもよく解らない。集団的自衛権は、密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合(存立危機事態)に行使される。

 「密接な関係にある他国」というのは同盟関係にある国を指す。現在、日本が同盟を結んでいるのはアメリカだけである。よって、例えば南シナ海でフィリピンが中国に攻撃されたとしても、フィリピンが日本の友好国であるという理由でフィリピンを助けることはできない。では、フィリピンに再駐留したアメリカ軍が南シナ海で中国に攻撃されたらどうか?この場合、「我が国の存立が脅かされ」という要件に引っかかる。南シナ海と日本は地理的に距離があるため、南シナ海での紛争がただちに日本の存立を脅かすと言い切るのは相当難しい。

 個人的かつ乱暴な印象だが、安保法制下の集団的自衛権は制約が大きく、実際には個別的自衛権の延長にすぎないと感じる(本号で、国際政治学者・三浦瑠麗氏も同じようなことを述べている)。政府が安保法制で実現したかったのは、集団的自衛権よりも、「重要影響事態(そのまま放置すれば、我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態など、我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態)」における後方支援の拡充の方だったのではないだろうか?

室谷克実『呆韓論』


呆韓論 (産経セレクト)呆韓論 (産経セレクト)
室谷克実

産経新聞出版 2013-12-05

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 (1)「旭日旗」とは、日章と旭光を意匠化した日本の旗である。1870年に大日本帝国陸軍の陸軍御国旗(軍旗)として初めて使用され、1889年に大日本帝国海軍の軍艦旗としても採用された。現在は、陸上自衛隊と海上自衛隊で旭日旗が使用されている。この旭日旗を、韓国は「世界にあってはならない戦犯旗」、「ナチス・ドイツのカギ十字に等しい」と宣伝している。ところが、それ以前は「古代朝鮮人が倭人に教えたデザインである」というのが韓国人の主張であった。

 (2)韓国の社会運動に「国語醇化」がある。これは韓国で日常的に使われている倭語(日本語)を、本来の韓国語に言い換えようという、反日的な民族主義運動である。日中観で共通した漢字表記だった「出口」をハングル表記で「ナガヌンゴッ」(直訳すると「出ていく所」)とさせたことは、最も目立つ成果だ。

 だが、醇化運動にはどうしても越えられない壁がある。日本人が創作した概念語だ。科学、経済、主義、資本、共産、社会、哲学など、江戸末期から明治初頭にかけて日本人が考え出した漢字熟語であり、これらの言葉は中国・韓国でもそのまま取り入れられている。とりわけ、『脱亜論』を書いた福沢諭吉がこれらの翻訳語に大きな役割を果たしているので、韓国人は悔しくてたまらないようだ。

 (3)韓国は慰安婦問題を盛んに取り上げるが、ベトナム戦争で韓国軍が残虐行為を働いたことは一切謝罪しない。また、「ライダイハン」にも触れない。ライダイハンとは、ベトナム戦争時に韓国の男性とベトナム女性との間にできた子どものことである。戦争が終わると、父親は韓国に逃亡し、子どもだけがベトナムに残された。その数は3,000~1万人とも言われる。しかも、韓国・ベトナムの国交回復後は、新ライダイハンが3,000人生まれているとされる。

 (4)ビビンバは日本人が好んで食べる料理だが、その歴史を知るとがっかりする。李王朝は、「両班(ヤンバン、貴族)―中人(チュンイン)―常民(サンミン)―奴婢(ノヒ)―白丁(ペクチョン、被差別民)」という厳格な世襲身分制度の国であった。奴婢のほとんどは両班家に所属する農奴である。彼らが、主人たちの食べ残しを雑穀飯の上に広げ、かき混ぜて食べたものがビビンバである。

 (5)韓国は強烈な差別大国である。金大中が大統領になるまでは、全羅道(チョルラド)地域(後期百済の中心地域)に対する差別がすさまじかった。これは、高麗王朝の始祖・王建が残した「訓要十条」に基づく。王建はこの中で、旧百済地域からの人材登用を戒めた。高麗、李朝を通じて、全羅道の両班はほとんど官職に就けなかった。そして、朴正煕―全斗煥―盧泰愚―金泳三と続いた慶尚道(キョンサンド、中期新羅の本拠地)出身の大統領時代に、官民・軍警ともに、慶尚道優位の資源配分が続く中で、全羅道差別は極限に達した。

 もともと異民族のように扱われていた済州島(チェジュド、新羅・百済とは全く違う建国神話を持ち、方言も強い)出身者も、同様に差別された。

 (6)韓国は風水を重視するが、朝鮮半島における風水術の祖は「倭種(邪馬台国の支配下になかった地域の倭人)」である。半島に残る最古の正史『三国史記』の中の『新羅本紀』に、新羅の4代目の王になる脱解(タレ)が風水の術を学び、「吉地」と見定めた土地を策略をもって手に入れたことが記されている。

 『新羅本紀』は脱解について、「その生国(多婆那国)は倭国の東北一千里(ここでの1里は約450メートル)にある」と書いている。多婆那国を追われた脱解が朝鮮半島に渡り、風水に基づいて獲得した土地を中心として、新羅は935年まで続いたわけだ。脱解の風水術は素晴らしかったのだろう。

 脱解は王になると、倭人を大輔(大臣)に起用する。しかし、国王とナンバー2だけが異民族という国があり得るだろうか?当時の新羅には、ある程度の比率を占める倭人・倭種が住んでいたと考えるのが自然だろう。

 (7)前述のように、李王朝の時代は厳格な世襲制身分制度の社会であった。両班の子息だけが科挙を受験でき、合格して運がよければ(実際には多額の賄賂を使えば)官職を得られた。しかし、「日帝」の内政干渉によって身分制度が崩壊した。誰でも勉強して試験に合格すれば、公務員にも一流企業の社員にもなれるようになった。だが、学歴崇拝と職業に対する病的な貴賤意識は消えなかった。そのため、上に行くほど超鋭角のピラミッド型格差社会が今でも残っている。

 ちなみに、全斗煥時代に公表された世論調査には、「日帝統治の体験者ほど反日の度合いが低い」という結果が出ていたそうだ。

黄文雄『中国・韓国が死んでも隠したい 本当は正しかった日本の戦争』


中国・韓国が死んでも隠したい 本当は正しかった日本の戦争 (一般書)中国・韓国が死んでも隠したい 本当は正しかった日本の戦争 (一般書)
黄 文雄

徳間書店 2014-02-19

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 中国が捏造しているとされる7つの出来事についてのメモ書き。

(1)南京大虐殺
 一時期は犠牲者100万人という説まで出たが、その後中国共産党の決定として30万人という数字が出た。しかし、当時の南京の人口は20万人にすぎない。民間人になりすました中国兵による乱暴が実際にあり、彼らを日本軍が掃討したことが民間人虐殺と誤解されたことが考えられる。

(2)三光作戦
 三光とは「搶光(奪い尽くす)」、「焼光(焼き尽くす)」、「殺光(殺し尽くす)」という意味で、これが日本軍の政策だったとされる。日本軍が日本兵に指示したのならば、当然日本語のはずである。しかし、この「光」は「空にする」という意味で使われており、日本人には馴染みが薄い。

 戦後に中華民国政府が発行した『中共述語語彙集』には、共産党軍が地主に「清算闘争」を行う際のスローガンとして、「分光(分け尽くす)」、「吃光(食べ尽くす)」、「用光(使い尽くす)」という語を使っていたことが記されている。また、中華人民共和国による『中国人民述語辞典』によれば、国民党が人民を殺害する際に用いたスローガンとして、「搶光」、「焼光」、「殺光」が出てくる。

 つまり、三光作戦とは、日中戦争中に国民党軍・共産党軍両軍が用いていたスローガンであり、それがいつの間にか日本の話にすり替わったと考えられる。

(3)七三一部隊
 中国で最も日本軍を苦しめたのは、中国軍ではなく疫病と不衛生である。1937年7月から1940年11月までの間、華北の日本軍では赤痢や腸チフス、パラチフス、発疹チフスの感染が急増していた。しかも、自然の感染ではなく、細菌テロの可能性が既に指摘されていた。

 このような戦地において防疫が重要なのは当然であって、七三一部隊は防御用であっても攻撃用ではあり得ない。対抗措置としての生物・化学兵器開発は考えられていたものの、公式指令がないことや資料不足から、開発製造には至らなかった。森村誠一の著書『悪魔の飽食』で有名になった人体実験も、確かな証拠は今に至るまで出ていない。

(4)万人坑
 南京大虐殺の遺体を埋めたとされる万人坑だが、虐殺の歴史の長い中国では一度に大量の人骨が見つかるのはよくあることだ。南京では、太平天国滅亡時の天京(南京)大虐殺、辛亥革命後に張勲が起こした南京虐殺事件、蒋介石軍が日本居留民を殺害した南京事件など、たびたび「南京大虐殺」が起きている。これらが全て、日中戦争時の日本軍の仕業とされてしまっている。

(5)田中上奏文
 1927年、当時の田中義一首相が昭和天皇に差し出した上奏文の中に、「支那を征服せんと欲すれば、まず満蒙を征せざるべからず。世界を征服せんと欲すれば、必ずまず支那を征服せざるべからず・・・これ乃ち明治大帝の遺策にして」と書かれていたことから、日本による中国・世界征服の計画書だとされた。

 上奏文は中国語で4万字という長文で、漢文訳だけでも10数種類、英露独語にも翻訳されている。しかし、日本語の原文は見つかっておらず、文体にも天皇にさし上げた文章としては不自然な箇所がある。つまり、非常にお粗末な偽書であり、反日プロパガンダであったと考えられる。

(6)黄河決壊
 1938年6月7日に河南省中牟付近の黄河堤防が爆破された事件であり、水死者100万人、被害者600万人と言われる犠牲が出た。国民党の通信社などは「日本の空爆による」と報道したが、同月17日にはフランス社会党の機関紙が「国民党による自作自演の愚挙」と報じている。

 その後、当時の工兵参謀が名乗り出たことで、真相が明らかになった。徐州会議後の日本軍の西進を阻止するべく、蒋介石の命令で堤防を爆破したのである。結局、失敗した作戦の巻き添えで100万人の命が失われた。日本軍は堤防を爆破したどころか、被害者の救助作業にあたった写真が見つかっている。

(7)長沙焚城
 中国軍が自国民の生命と財産を無差別に踏みにじった例としては、他に長沙焚城がある。蒋介石が「長沙が陥落したら全城を焼き払え」と命じていたことに基づき、1938年1月12日に湖南省の長沙城が放火された事件である。この時、日本軍はまだ数百キロ先にいたにも関わらず命令は実行されて、死者20万人という被害を出し、さらに紀元前まで遡る長沙の重要な文書もほとんど失われた。
プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。これまでの主な実績はこちらを参照。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~
シャイン経営研究所HP
シャイン経営研究所
 (私の個人事務所)

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