メキシコ自動車産業のサプライチェーン―メキシコ企業の参入は可能か (アジアを見る眼)メキシコ自動車産業のサプライチェーン―メキシコ企業の参入は可能か (アジアを見る眼)
星野 妙子

アジア経済研究所 2015-01

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 自動車の生産拠点として東南アジアで有名なのはタイだが、今中米でメキシコが注目を集めている。2011年にはホンダ、日産、マツダがメキシコにおける新工場の建設を発表したが、今年に入ってからはいよいよトヨタがメキシコ進出の意向を明らかにした。現在のメキシコには世界中から自動車メーカーが集まっている。メキシコの自動車生産台数は年間290万台であり、その8割が輸出されている。この生産台数は世界で8位、輸出台数では世界で第4位となっている。

 本書はメキシコにおける自動車業界のサプライチェーンを分析した1冊である。メキシコのサプライチェーンは、日本やタイとは異なる特徴を有している。
 少なくとも次の点を、メキシコのサプライチェーンの階層分布の特徴として指摘できる。第一に階層の数が少ないこと。第二に階層上位ほど層が厚く頭でっかちな構造であること、この2点だ。
 これらの部品(※走る、曲がる、止まるという自動車の走行性能にかかわる、特に高い精度と品質が要求される重要部品)のドイツ、日本からの輸入額が大きいことは、メキシコで活動するドイツ系と日系の自動車メーカー・部品メーカーが、(中略)企業の競争力にかかわる重要部品は、本国から輸入しているということになる。
 例外はあるが、大方の部品メーカーは素材・部品の輸入依存度が高い。輸入先は北米サプライチェーンを形成する米国・カナダ以外では日本が多い。
 メキシコで裾野産業があまり育っていない要因を本書から読み解くと、次のようになるのではないだろうか?メキシコの初期の自動車産業に貢献したのは、アメリカの自動車メーカーである。日本の自動車メーカーは1980年代にはほとんどメキシコに進出していなかったが、アメリカ企業はそれ以前から進出していた。日本の自動車産業が系列を中心とした多段階構造であるのに対し、1980年代までのアメリカの自動車メーカーは内製率が高いという違いがある。
 自動車産業研究者の第一人者下川浩一は、日米の違いが生じた要因を、次のように説明している。すなわち、米国では自動車産業発展の初期に優れた機械メーカーが存在し、それらのメーカーが部品・コンポーネントを供給し自動車メーカーを育成する役割を果たした。しかし自動車メーカーは、大企業に成長すると、部品供給の安定化と量産効果を重視して、自ら部品製造を始めると同時に部品メーカーを買収し自らの事業に統合した。(中略)

 これに対し日本の自動車産業は第二次世界大戦後、部品メーカー不在の条件で成長を開始し、自動車メーカーは部品メーカーを育てる方針を採用した。内製化を選択しなかったのは、資金的な制約と、1950年のトヨタ争議、1953年の日産争議のトラウマから過剰人員を抱え込むリスクを忌避したなどの理由からだった。
 メキシコ政府も、1970年代には政令を通じて、部品メーカーを育成する方針をとっていた。ところが、メキシコに新設される部品メーカーはメキシコ資本が60%以上、裏を返せば外資は40%以下という条件がついていたため、メキシコ進出を断念した部品メーカーも多かった。加えて、前述の通りアメリカの自動車メーカーは内製率が高かったこともあり、メキシコに部品メーカーが育たなかった。

 その後、1980年代の対外債務危機を経験したメキシコは、外貨取得のために保護主義的な政策を撤回し、自由主義に転換せざるを得なかった。同時に、アメリカの自動車メーカーは内製率を引き下げ始めた。メキシコの自由主義政策によって、アメリカからの部品輸入にかかる制約がなくなったのだから、メキシコで部品メーカーが育つのを待つより、本国から輸入した方が早い。こういう経緯で、頭でっかちのサプライチェーンができ上がったと考えられる。

 アメリカとメキシコは地理的に近いため、アメリカから部品を輸入しても時間やコストはさほど問題にならない。だが、日本とメキシコは遠く離れており、部品をメキシコに輸出することは考えにくい。したがって、日本の自動車メーカーがメキシコで成功するためには、Tier1、Tier2などを巻き込んで進出できるか、さらに地場の部品メーカーを粘り強く育成できるかにかかっているように思われる。