考え方~人生・仕事の結果が変わる考え方―人生・仕事の結果が変わる
稲盛 和夫

大和書房 2017-03-23

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 ブログ本館でも告白しているように、私は双極性障害という精神疾患を患っている。双極性障害にはⅠ型とⅡ型がある。Ⅰ型は躁状態(端的に言えばハイテンションの状態。いくら仕事をしても疲れない、派手にお金を使うなど生活に行き過ぎが見られるのが特徴である)とうつ状態を交互に繰り返すタイプである。これに対してⅡ型は明確な躁うつのサイクルが見られず、時々軽躁状態が現れる程度で、大部分は低空飛行が続く。敢えてうつ病との違いを挙げるならば、うつ病では不安が続くのに対し、双極性障害Ⅱ型では不安と同時にイライラが現れる。ただし、うつ病においても、若い人の場合はイライラが見られることがあるため、うつ病と双極性障害Ⅱ型を見極めるのは精神科医であっても極めて難しい。

 事実、私が最初に発症したのは10年前の2008年秋であったが、その時の診断名はうつ病であった。ところが、抗うつ薬の効果が乏しく、そのまま悪化の一途をたどって2012年8月に40日間入院した後で、かかりつけ医からは実は双極性障害Ⅱ型なのではないかと言われた。うつ病と双極性障害では薬の種類が全く異なる。私は抗うつ薬に加えて、気分安定薬を服用することになった。

 ただし、気分安定薬を飲むようになっても、症状は多少改善した程度で、元気だった頃の状態とは程遠い状況がその後も続いた。私が勤めていた前職のベンチャー企業(組織・人事コンサルティング&教育研修サービスを提供)は、ブログ本館の記事「【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓」でも書いた通り散々な経営をやっていた企業で、別の記事「【独立5周年企画】中小企業診断士を取った理由、診断士として独立した理由(3)(4)」で書いたように、社長からの無茶な命令で、絶対に失敗すると解っていた展示会出展や新サービス開発の主担当者に私がなり、社長に対して上手に異議を申し立てることができず、多忙な仕事をしなければならなかったのが病気を発症・悪化させた要因である。前職の企業は2011年6月に退職し、中小企業診断士として独立したものの、当時の記憶が何度もフラッシュバックしては私に不安と怒りを感じさせた。

 独立後も、診断士としての仕事はなかなか安定しなかった。信じられないような安い値段で請け負った仕事は数えきれない。もちろん、私がそれを断って自分で価格の主導権を握り、別の仕事を獲得しに行くべきではあったのだが、そういう安い仕事が来る時は他に仕事がない時で、とりあえずその仕事をやらないと明日の生活がなかった。「この安い仕事の次には高い仕事が待っている」、「安い仕事からでも学習できることはある」と言い聞かせて仕事をしたものの、一度安い仕事をしてしまうと価格を上げることは至難の業であるし、世の中にはどんなに意識を変えても本当に何の学習にもならない仕事というものがあることを思い知らされた。こういうことも、私にはボディーブローのように効いた。

 極めつきが、ブログ本館の記事「『致知』2018年4月号『本気 本腰 本物』―「悪い顧客につかまって900万円の損失を出した」ことを「赦す」という話」で書いた話である。約2年間、週3日のペースで、あるオンライン資格学校のために仕事をしたのに、いただいた報酬はたったの80万円ほどであった(800万円の間違いではない)。約2年間、週3日のペースで仕事をしたということは、事実上1年強フルタイムで仕事をしたことになる。外部の専門家を1年強使えば、普通はそれなりの金額になることはお解りいただけると思う。だが、この顧客にはその話が全く通用せず、私は完膚なきまでに打ちのめされた。そのダメージのせいか、今年の3月に1か月間入院し、その後一時的に回復したものの、心理的損失に打ち勝つことができず、7月には岐阜の実家で3週間ほど静養した。

 こういう悪いことが起きたり、その悪いことを思い出して悲しみや怒りを覚えたりした時には、自分が罰ゲームを受けているかのような気分になった。実際、Web上で公開されているうつ病のセルフチェックを見ると、質問項目の中に「私は今罰を受けている」という項目が入っていることが多い。自分がこんなに罰ゲームを受けるのは、きっと私の前世が極悪人だったのではないかと本気で恨んだこともある。だが、7月の静養中に本書を読んで、1つ大きな発見があった。

 京セラが展開している医療事業の主力製品の1つに人工関節がある。本書でも書かれているように、稲盛氏は品質に対して決して妥協しない人であったため、京セラの人工関節は発売当初から市場で高く評価されていた。ある時、とある医療機関から患者のために特殊な人工関節を作ってほしいという依頼があった。ところが、その特殊な人工関節を販売するためには、厚生省(当時)の許可を受けなければならない。しかし、患者を早く治療したい医師は、どうしてもすぐに人工関節を作ってほしいと稲盛氏に迫った。そのため、稲盛氏はその患者のためを思って、厚生省の許可を受けずに人工関節を提供した。医師と患者からは喜ばれたものの、厚生省の許可を取っていないことが大問題となり、週刊誌は「京セラがあくどい商売でぼろ儲けをしている」と書き立てた。

 もちろん、いくら患者のためとはいえ、正規のプロセスを踏まなかったことは非難されても仕方ないのだが、自分が信条とする利他心を否定されたかのように感じた稲盛氏はひどく心を痛めた。稲盛氏は、指導を受けていた京都・円福寺の西片擔雪老大師を訪れた。すると、老大師は次のように話した。
 前世か現世か知らないけれども、それは過去にあなたが積んできた業が、今結果となって出てきたものです。たしかに今は災難に遭われ、たいへんかもしれません。しかし、あなたがつくった業が結果となって出てきたということは、その業が消えたことになります。業が消えたのだから、考えようによっては嬉しいことではありませんか。命がなくなるようなことであれば困りますが、新聞雑誌に悪く書かれた程度で済むなら、嬉しいことではありませんか。むしろお祝いすべきです。
 稲盛氏の苦労に比べれば私の苦労など塵みたいなものだが、私もこの老大師の言葉ですっと肩の荷が下りたような気がした。今までは、自分に降りかかる災難は全て罰だと思い込んでいた。だが、老大師の言葉に従えば、私が1つ災難に遭うたびに、過去の業が1つ消えたことになる。だから、災難は罰ではなく恵みなのである。そう思うと、病気に対する向き合い方が随分と変わった。発症から約10年、長い時間がかかったが、ようやく大事なことに気づくことができた。