こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

水平連携


『2017総予測/経済学者・経営学者・エコノミスト107人が選んだ 2016年『ベスト経済書』(『週刊ダイヤモンド』2016年12月31日・2017年1月7日合併号)』


週刊ダイヤモンド 2016年12/31 2017年1/7合併号 [雑誌]週刊ダイヤモンド 2016年12/31 2017年1/7合併号 [雑誌]
ダイヤモンド社 週刊ダイヤモンド編集部

ダイヤモンド社 2016-12-26

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 ○”2大ギャング”米中の間をしたたかに泳ぐフィリピン・ドゥテルテ大統領。米中の派遣が拮抗する現状が続く限り、フィリピンはキャスティングボートを握って自国の影響力を最大化できる(p61)。
 ⇒大国は二項対立的な発想をするのが宿命である。小国は二項対立の一方に過度に肩入れすると、自国が大国同士の代理戦争の場となり危険である。あまりいい表現ではないが、対立する双方の大国に美人顔をして、双方のいいところ取りをする”ちゃんぽん戦略”が有効である。日本もこれを見習うべきである。
(「大庭三枝編『東アジアのかたち―秩序形成と統合をめぐる日米中ASEANの交差』」、「千野境子『日本はASEANとどう付き合うか―米中攻防時代の新戦略』―日本はASEANの「ちゃんぽん戦略」に学ぶことができる」を参照)

 ○橋本龍太郎政権から森嘉朗政権までの日ロ関係が良好な時代には、中国や韓国は日本に対して大人しかった。中韓がかしかましくなったのは、小泉政権で米国一辺倒になってからである(p67)。
 ⇒前項とも関連。小国が対立する大国の一方のみにべったりくっつくのは危険である。現在の安部政権も日米同盟を重視しているものの、それがかえって中国との対立を深刻化する可能性がある。そして、被害に遭うのは日本である。
(「山本七平『存亡の条件』―日本に「対立概念」を持ち込むと日本が崩壊するかもしれない」を参照)

 ○アメリカは中国と対抗しているように見えて、他方で両国は各種シンクタンクなどを通じて、戦略対話を数多くやっている(p69)。
 ⇒大国の二項対立は、実は複雑である。米中の対立を例に取ると、表向きはアメリカVS中国であるが、アメリカの中には少数だが親中派が、中国の中には同じく少数だが親米派がいる。アメリカの親中派と中国の親米派は裏でこっそりつながっている。アメリカの反中派は親中派のことが、中国の反米派は親米派のことが気に食わない。すると、アメリカでは反中派と親中派が対立し、反中派が勢いづく。同様にして、中国では反米派が勢いづく。こうして二項対立はさらに加速する。ただし、大国同士が本気で衝突すれば壊滅的なダメージを受けることは目に見えているので、大国は対立をギリギリで回避する。
(「アメリカの「二項対立」的発想に関する整理(試論)」を参照)

 ○現在、日本の産業全体で起きていることは、業界や企業の枠を超えた提携である。金融業界では、フィンテックに代表されるように、金融業界とITベンチャー業界が連携して新しいサービスの開発を目指している(p82)。
 ⇒日本の巨大な重層的ピラミッド社会では、垂直方向に「下剋上」と「下問」が、水平方向に「コラボレーション」が行われるのが理想であると書いた。日本企業も一時期アメリカ企業のような自前主義に走ったことがあったが、再び水平方向のコラボレーションが活発化しているのはよい傾向だと思う。
(「日本企業が陥りやすい10の罠・弱点(1)(2)」を参照)

 ○マクドナルドは「ポートフォリオ経営をするつもりはない」と言う。しかし、業界関係者は「近年はマクドナルドやワタミの業績悪化で、単一チェーンの限界をリアルに感じる」と語る(p113)。

製品・サービスの4分類(修正)

製品・サービスの4分類(各象限の具体例)

 ⇒私がよく使う「必需品か非必需品か?」という軸と「製品・サービスの欠陥が顧客の生命や事業に与えるリスクが大きいか否か?」という軸で構成されるマトリクス図に従うと、マクドナルドはどの象限に該当するのか私も判断に迷う。熱狂的なマクドナルドフリークがいる一方で、マクドナルドのことを徹底的に嫌っている消費者も一定数いるという意味では、【象限③】に該当するかもしれない。この場合、イノベーションが全世界に普及した後は、自社株の購入や配当によって株主に報いながら静かに衰退していくのが運命である。

 一方、マクドナルドは消費者にとって欠かせない存在になったというのであれば、【象限①】に該当する。【象限①】のKSF(Key Success Factor:重要成功要因)は、消費者の消費プロセスを広くカバーするために、多角的に事業を行うか、水平連携を行うことである。多くの飲食店チェーンが異なる業態を抱えているのは、消費者の毎日の食事を取り込むためである。マクドナルドが【象限①】、【象限③】のどちらに該当するにせよ、現在の戦略のままではどうしても苦しい。
(「【シリーズ】現代アメリカ企業経営論」を参照)

 ○過労死の実態に対し社会的な関心を維持していくことも重要だが、消費者一人一人が、自らの消費行動が「労働者の過労死につながる長時間労働や深夜労働を強いていないか」と思いを致すことも重要である(p141)。
 ⇒企業が環境の破壊や人権の蹂躙などの社会的問題を引き起こすのは、顧客からの厳しすぎる要求も一因である。企業が環境や人権に配慮したビジネスモデルを構築することはもちろん重要であるが、最も重要なのは顧客の啓蒙ではないかと考える。我々は、企業に対して過剰な要求をせず、多少の不便や欠陥は許容するぐらいの寛容さを身につける必要があるだろう。
(「『持続可能性 新たな優位を求めて(DHBR2013年4月号)』―顧客を啓蒙するサステナビリティ指標の開発がカギ」を参照)

 ○人口減少社会に突入した現代の日本では、地域で何が課題になっているのか、自ら考えて行動することが強く求められているのに対して、地方の多くが中央集権型の行政運営に慣れてしまっているのが実情である(p150)。
 ⇒日本は最も成功した社会主義国家であると言われるように、国家・政府主導型で急激な経済成長をもたらしてきた。明治時代も戦後もそうである。しかし、日本の歴史全体を見渡してみると、中央集権型で国家が運営されてきた時代は例外なのではないかと考える。江戸時代などは、何百もの藩が並立する分権型社会であった。そして、この分権型社会こそ日本の強みであり、今はそれをもう一度取り戻す時期に来ているように思える。

 残念ながら、現在の地方は中央の言いなりであり、中央が描いた計画に裏書きをしているだけである。地方は、中央が示す大枠に対して、「我々はこうしたいのだ」と強く自己主張することが重要である。一方の中央も、地方に分権化するからと言って、地方に丸投げするようなことがあってはならない。中央は基本的な方針をはっきりと示し、地方に十分な権限を委譲することが肝要である。
(「『アベノミクス破綻(『世界』2016年4月号)』」を参照)

丸山眞男『日本の思想』


日本の思想 (岩波新書)日本の思想 (岩波新書)
丸山 真男

岩波書店 1961-11-20

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 丸山眞男の『日本の思想』をもう一度読み返してみた(前回のレビュー記事は「丸山眞男『日本の思想』」を参照)。

 ブログ本館の記事「山本七平『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条』―日本組織の強みが弱みに転ずる時(1)(2)」では、日本の多重階層社会を前提として、①垂直方向には上の階層に対する「下剋上」と下の階層に対する「下問」が、②水平方向には組織内におけるコラボレーション、同業他社や異業種との協業が必要であると書いた。だが、上下関係に基づく指揮命令系統に加えて、なぜこれらの動きが必要なのかはあまりきちんと書いていなかった。

 ①まず、下剋上に関しては、ある階層の人が、より上位の階層の視点に立って、物事を広い視点から考える訓練になる。こうした思考は、その人が将来的に出世して上位の階層に立った時に必ず役に立つ。一方の下問については、自分が上司だからという理由だけでは部下を思い通りに動かすことができないことを思い知る契機になる。部下のニーズを汲み取り、部下の目標達成を支援することが、部下からの信頼の獲得につながる。部下から信頼されることで、上司は指揮命令による権限の発揮を補強することができる。

 水平方向のコラボレーションについては、日本が多神教文化であることが関係している。欧米(特にアメリカ)の一神教においては、個人が信仰によって神と契約を結び、その契約を履行する。神は絶対であるから、契約もまた絶対である。その絶対的な契約を確実に履行することを「自己実現」と呼ぶ。ただし、全員が神との契約を結べるわけではないし、せっかく神と契約を結んだのに、本人の怠慢などによって契約が実現しないことがある。よって、自己実現に成功した者とそうでない者との間には大きな格差が生じる。

 一方の日本は多神教文化であり、それぞれの人や組織に異なる神が宿ると考える。しかもその神は、一神教の神とは異なり不完全である。だから、個人や組織がどんなに内省しても、神の姿を知ることができない。自分に宿る神の姿を知るために効果的な方法は、自分とは異なる神を宿しているであろう他者と交わることである。しばしば言われるように、異質との出会いは学習を促進する。

 だから、社員は自分の強みを知るために組織内を頻繁に異動するし、企業は自社のコア・コンピタンスを知るために同業他社や異業種と連携する。ただし、他者(他社)の神もまた不完全であるから、自分の神の姿を完全に知ることはできない。初めから不可能だと解っているにもかかわらず、それでも我々は学習を続けなければならない。これを我々は「道」と呼ぶ。日本中の人々や組織が「道」を追求する限り、アメリカのような大きな格差は生まれず、多様性が保たれる。

 以上は、私が考える日本社会の理想である。これに対して、現実は異なっていると丸山は指摘する。まず、水平方向のコラボレーションについては、組織がタコツボ化しているという現実がある。これは、日本の学問の輸入方法に原因の一端がある。丸山は、欧米の文化をササラ型、日本の文化をタコツボ型と呼ぶ。ササラ型の場合、哲学であれ宗教であれ、まずは根っことなる学問が存在し、そこから様々な学問が枝分かれした。科学の発展に伴って、それぞれの学問は専門化が進んだ。日本は、専門化が進んでからの学問を輸入したため、学問相互間の関係に無頓着であった。これがタコツボ化を生む遠因となっている。

 欧米のササラの根っこにあたるものは、戦前であれば天皇であっただろう。戦後はマス・コミュニケーションがその役割を果たすはずであった。ところが、マス・コミュニケーションは誰の利害も代表しない表面的な情報を流すことで、かえってディスコミュニケーションを生んでいると丸山は批判する。丸山は、タコツボ化を打破するために、組織内の言葉が組織外でどれだけ通用するか試すべきだと提案している。タコツボ化した組織の言葉は、当人が意識しないうちに、往々にしてその組織内でしか通用しない言葉になっているものである。

 垂直方向の下剋上と下問を理解するには、「である」と「する」という言葉の区別が有益である。丸山は、債権者「である」ことに胡坐をかいて、債務者に請求「する」という行為を怠ると、時効が成立して債権が消滅することを引き合いに出して、地位に安住することに警告を発している。社会を有効に機能せしめるためには、不断の「する」が決定的に重要となる。

 上司と部下の関係は、典型的な「である」の関係である。上司「である」から部下に命令することが許されるし、部下「である」から上司の命令を聞かなければならない。しかし、「である」だけの社会は硬直的であり、変化に対して過剰に反応するか、変化を受け入れられずに崩壊する。そこで、「する」という行為を取り入れなければならない。下剋上や下問は、上司や部下「である」ことから必然的に生じる行為ではない。本人が意識的に「する」必要がある。「である」に「する」を加えることで、組織を活性化することができると私は考える。
プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。これまでの主な実績はこちらを参照。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~
シャイン経営研究所HP
シャイン経営研究所
 (私の個人事務所)

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