そうだったのか!中国 (集英社文庫)そうだったのか!中国 (集英社文庫)
池上 彰

集英社 2010-03

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 毛沢東は、「理想の人間像」を模索し、共産主義の理想を実現しようともしていたからです。それは、「分業の廃止」「商品経済の廃止」「社会的平等の実現」でした。文化大革命の中では、とりわけ近代社会の分業体制が批判されました。分業体制は、それぞれの人間が片寄った専門家になってしまうので、分業を廃止することで、知識人と労働者・農民の差別・壁を取り除き、全人的な発達をめざすという目標が宣伝されたのです。
 人民公社は、農業ばかりでなく、工業、農業、商業、文化、教育、軍事を総合する共同体となり、これを来るべき共産主義社会の基盤とすることを毛沢東は考えました。農民たちは、人民公社で農業をし、工業にも携わり、商売もし、文化を高め、教育も受け、兵士にもなる。あらゆることを実行する万能な存在になることが目標でした。それにより、農民と労働者の格差、肉体労働と頭脳労働の格差もなくしていけると考えました。
 ここだけ読むと、共産主義が一時期日本の若者を虜にした理由が何となく解る気がする。人間の能力があらゆる方向に開花する可能性を信じ、真に自由で平等な社会を構築しようというのだから、非常に理想的に思える。

 しかし、共産主義は資本主義に敗れた。共産主義は、労働者が資本家を打倒することで、階級闘争のない社会を目指した。ところが、革命後の社会では、支配者と被支配者という新たな階級が生まれる。そのため、再び被支配者が支配者を打ち倒す革命が起こる。これが繰り返される限り、真に平等な社会は永遠に到来しない。つまり、共産主義は本質的に自家撞着を抱えているのである。

 この矛盾は、共産主義が階級のない”社会”を目指す限り、必ず表出する。そもそも社会には地位や身分がつきものであり、それらがない社会とは一体どういうものなのか、共産主義は明確な答えを出していない。

 この点、地位や身分を内包した社会の中においてこそ、個人は自由を発揮すると考えた日本は進んでいたのかもしれない。このことを発見したのは、江戸時代の禅僧・鈴木正三である(ブログ本館の記事「童門冬二『鈴木正三 武将から禅僧へ』―自由を追求した禅僧が直面した3つの壁」を参照)。

 ブログ本館で何度か書いたように、日本社会は多重構造である方が安定する。大雑把に言えば、現在の日本では、神―天皇―国会―行政―地域社会―企業―学校―家庭―個人という階層構造が見られる。そして、下の階層は上の階層を「天」と仰ぐ限りにおいて、正当性を獲得する。基本的に、下の階層は上の階層の指示命令通りに行動する。しかし、日本の場合は下の階層に一定の裁量が認められており、創造性を発揮して自由にふるまうことを許される。この下の階層から上の階層へのエネルギーを、社会学者・山本七平は「下剋上」と呼んだ。

 共産主義の脅威は世界から消え去ったわけではない。世界には5つの社会主義(社会主義は、共産主義を実現するための途中段階とされる)国家が5つある。キューバ、中国、北朝鮮、ベトナム、ラオスである。実に4か国がアジア、しかも日本の周辺にあるのである。日本は自らが培った叡智を活かして、共産主義に対抗しなければならない。いや、対決姿勢を見せるというより、日本お得意の”いいところ取り”を発揮して、日本の歴史・文化・風土を土台とし、資本主義に共産主義を接合した、何か新しい思想を生み出すことが必要なのかもしれない。