実証研究 優れた人材のキャリア形成とその支援実証研究 優れた人材のキャリア形成とその支援
川喜多 喬

ナカニシヤ出版 2008-04

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 大企業の経営層人材および経営幹部候補のみならず、デザイナーやアナウンサーのキャリア開発にも着目したユニークな1冊である。それぞれの章ではまず仮説が提示され、それを検証するためのインタビュー調査が記載されて、最後に支持された仮説と、当初の仮説にはなかったが調査の結果明らかになったことが整然と整理されており、非常に読みやすい。

 海外にも幅広く事業展開しているエレクトロニクス企業における経営層人材に着目した章では、彼らの多くが30代前半で海外赴任を含む1回目の修羅場を経験したとされている(2回目は40代~50代で、より上のポジションに立って海外赴任をしたケースが多い)。上司からは突き放されてしまい(彼らはそんな上司を冷静に観察し、反面教師にしている)、上司以外の第三者から助言や支援を受けながら修羅場をくぐり抜けたことが明らかになっている。

 私も前職の組織・人事コンサルティング&教育研修のベンチャー企業に在籍していた20代後半に修羅場を経験した(詳しくはブログ本館の記事「【ベンチャー失敗の教訓(全50回)】記事一覧」を参照)。だが、私の場合はその修羅場を乗り越えられなかった。それから、海外勤務をしないまま29歳で独立したのもよくなかったと後悔している。独立後に海外事業のコンサルティングに携わらせてもらったことが何度かあるが、海外経験のない私は、国内でできるデスクワークに仕事が限定されてしまった(ただ、海外での仕事はまだチャンスがあるかもしれない)。

 ここ2年はオンライン資格学校の講師を務めたが、ここでもまた1つ修羅場があった(事の顛末はブログ本館の記事「『致知』2018年4月号『本気 本腰 本物』―「悪い顧客につかまって900万円の損失を出した」ことを「赦す」という話」を参照)。そして、またしても私はこの修羅場を乗り越えることができなかった。

 この10年を振り返ってみると、この2つの大きな挫折を中心に失敗ばかりで、コンサルティングでもなかなか思うような成果が上げられないことの方が多かったように思う。双極性障害という精神疾患による入院も3回経験している。私よりはるかに稼いでいる中小企業診断士の先生は、例えば「営業成約率が○○%向上した」、「Webでの売上が○○倍になった」といった定量的な成果をいくつもお持ちだが、私にはそういうのがほとんどない(人事領域という、成果が数字に表れにくい分野を専門にしていることの宿命なのかもしれない。ただそれでも、例えば「社員満足度が前年に比べて○○ポイント向上した」、「離職率が○○ポイント改善した」などの成果は上げたいところである)。

 だが、本書の最後には、私にとって一縷の希望となる文章があった。IBMにおける企業内キャリアカウンセリングに関する章の中の文章である。
 企業内キャリアカウンセラーが当該企業の組織風土の中で育ち、さまざまな修羅場を経験し、挫折を克服してきたという「キャリア」そのものが、従業員であるクライアントの悩みを共有し、不安を克服する意欲を醸成し、困難に立ち向かう行動を起こさせる源となるのである。(※太字下線は筆者)
 キャリアカウンセラーとコンサルタントを同列に並べることは乱暴かもしれないが、これを読んで「挫折してもいいのだ」と思った。ただ、挫折をいつまでも引きずるのではなく、そこから何を学んだかが重要になるだろう。その教訓は前掲のリンク先記事である程度まとめたつもりである(記事を書くことで心の傷を癒すのも目的であった)。グローバル企業で海外勤務をし、修羅場を乗り越えた成功体験を持つ経営層人材を相手にしたコンサルティングは、海外経験もなく、修羅場で挫折した自分には無理だと感じている。そういう企業のコンサルティングは、マッキンゼーやボストン・コンサルティング・グループなどに任せておけばよい。

 そのような”強烈な”経営幹部がいる企業は、世の中からすればごく一部だと思う。こういう言い方をすると語弊があるかもしれないが、大半の企業の経営者は、普通に仕事をし、普通に失敗をし、普通に苦しんでいる。私は修羅場で挫折した経験を活かして、経営者の心の傷をさすり、経営者の気持ちに寄り添い、失敗してもいいのだと言えるコンサルタントになりたい。前述のように私は双極性障害を患っているので、「心が壊れる」という現象がどういうものかも解っているつもりである。失敗に伴う気持ちの浮き沈みに対してどのように向き合えばよいのか、そういった点にも理解のあるコンサルタントでありたい。そういうコンサルタントになることができれば、マッキンゼーなどのコンサルタントとは一味違った、差別化されたポジショニングを確立することができるように思える。