月刊正論 2016年 10月号 [雑誌]月刊正論 2016年 10月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2016-09-01

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 今月号の『正論』は政治的に大きな動きがあまりなかったせいか、他の月に比べると比較的おとなしめの印象であった。8月8日に天皇陛下がビデオメッセージで発せられた「おことば」の全文が掲載されていたので改めて読み返してみたのだが、1か所興味深いところがあった。
 天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らもありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。
(太字下線は筆者)
 ブログ本館の記事「北川東子『ハイデガー―存在の謎について考える』―安直な私はハイデガーの存在論に日本的思想との親和性を見出す」などで、「(神?)⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家族⇒個人」という日本の階層構造を何度か示した。ただし、天皇はあくまでも象徴であり、実際に下位の階層に対して何かを命じることはないと考えていた。ところが、「おことば」の中では、国民に対して象徴天皇という立場に対する理解を深めよとはっきりとおっしゃっている。
 陛下がビデオメッセージで触れられた「務め」とは天皇としての「機能」の面だが、その大前提には「存在」されること自体の意義がある。徹底した血統原理によって他に代わる者がいない存在として、陛下が天皇の地位に就いておられること自体に尊い意義がある。
(八木秀次「政府も悩む 皇室「パンドラの箱」」)
 八木氏は、天皇は「存在」されること自体に意義があると述べているものの、天皇陛下自身はそれだけでは足りないとお考えであり、国民に対して積極的に役割を求めている。逆に言えば、心身の面でそのような要求が難しくなったことも、天皇陛下が生前退位を検討するようになった一因なのかもしれない。

 象徴天皇の立場に対する理解を深めるとはどういうことか?それには、象徴天皇とは何の象徴なのか?という問いに答えなければならない(憲法学においては、「国民の象徴」ではなく、「国民統合の象徴」であるという点に注目して様々な学説が提唱されているが、法学部出身でありながら憲法に不勉強であった私は、ここでは立ち入らない)。その答えは、「おことば」の中に示されている。
 私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。
 象徴天皇とは、祈りの象徴であり、人々(特に弱者)のそばに寄り添う者の象徴である。そのような象徴天皇への国民の理解を深めるとは、国民に対して、天皇の行為が日本国民の精神の象徴であると認識させるとともに、国民もまた他者の幸せを祈り、他者の思いに耳を傾けるべきことを要求していると解釈できる。今回の「おことば」は、単に生前退位だけが課題ではなく、天皇と国民の関係、そして国民のあり方についても今一度熟考を迫るものであったと言えそうだ。