働き方―「なぜ働くのか」「いかに働くのか」働き方―「なぜ働くのか」「いかに働くのか」
稲盛和夫

三笠書房 2009-04-02

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 先日の記事「稲盛和夫『考え方―人生・仕事の結果が変わる』―現世でひどい目に遭うのは過去の業が消えている証拠」でも書いたが、稲盛和夫氏は品質に対するこだわりが非常に強い。京セラの主力製品であるファインセラミックスは、粉末状になった金属の酸化物の原料を型に入れ、プレスなどをして形を作り、高温の炉の中で焼き上げる。それをさらに研磨したり、表面を金属加工したりするなどして、製品として完成するまでに長い工程を必要とする。そのどの工程においても繊細な技術が必要とされる。だから、完成品を作るには99パーセントの努力では足りない。最後の1パーセントの努力を怠ったために全てが無駄になることもある。だから、常に100%を目指さなければならないと言う。

 京セラが創業して間もない頃、放送機器用の真空管を冷却する水冷複巻蛇管という製品を作ったことがあった。それまで小さなファインセラミックスしか作ったことがなかった京セラにとって、蛇管は直径25センチ、高さ50センチと巨大である上に、オールドセラミクス、いわば陶磁器であった。そのような製品の製造ノウハウはなく、製造設備もない。しかし、稲盛氏は顧客の熱意にほだされ、つい「できます」と言ってしまった。そこからが大変であった。

 例えば、原料は一般の陶磁器と同じ粘土を使うのだが、何せサイズが大きいため、製品全体を均一に乾燥させることが極めて難しい。最初は成形、乾燥プロセスの中で必ずと言っていいほど乾燥ムラが生じ、先に乾燥した部分にクラック(ひび)が入ってしまった。乾燥時間が長すぎるのかもしれないと考え、短縮する工夫をしたものの、やはりクラックを防ぐことができない。試行錯誤を重ねた末、まだ乾ききらない柔らかい状態の製品をウェス(ボロ切れ)で巻き、その上から霧を吹きかけてじわじわと全体を均一に乾燥させるという方法を編み出した。

 しかし、まだ問題はあった。製品サイズが大きいために、乾燥に時間をかけすぎると、今度は製品自体の重みで形が崩れてしまう。これも様々な方法を試した。その結果、稲盛氏はこの蛇管を「抱いて寝る」ことにした。つまり、窯の近くで適当な温度の場所に稲盛氏が横になり、そっと蛇管を胸に抱いて、夜中じゅうそれをゆっくりと回すことで形崩れを防ぎながら乾かす方法を取ったのである。ものづくり、品質に一切妥協しない稲盛氏の姿勢がうかがえるエピソードである。

 ブログ本館の記事「『一橋ビジネスレビュー』2018年SPR.65巻4号『次世代産業としての航空機産業』―「製品・サービスの4分類」修正版(ただし、まだ仮説に穴あり)」で示したマトリクス図に従えば、京セラは「必需品である&製品・サービスの欠陥が顧客の生命(BtoC)・事業(BtoB)に与えるリスクが大きい」という右下の<象限②>でビジネスを行っている。だから、品質に対するこだわりが強くなるのは自然な流れだと言える。そもそも、日本企業の多くは<象限②>に強いはずであった(一方、アメリカ企業は左上の<象限③>に強い)。しかし、近年、日本企業の品質問題が頻発しており、品質神話が崩れつつある。

 私は、稲盛氏のように「製品を抱いて寝たい」と思うほど品質にこだわる企業が減っているのではないかと感じる。確かに、日本企業の製品はオーバースペックであり、とりわけ所得水準がまだそれほど高くない新興国にそれを持って行っても受け入れられないという問題はあった。だが、多くの企業が取ったのは、単純に全体の品質を落として安く仕上げるという方法ではなかっただろうか?

 本当に新興国市場に適応するためには、新興国市場のニーズをきめ細かく吸い上げ、必要な機能とそうでない機能を峻別して、必要な機能に関しては日本のものづくりの力を活かして最高の品質を実現し、現地企業の品質を圧倒的に凌駕することを目指すべきだったと思う。それなのに、安直に全体の品質を落としてしまえば、顧客が必要とする機能の品質までも不十分になり、深刻な品質問題に発展してしまうのは必然であるように感じる。

 こうした品質軽視に拍車をかけているのが、アメリカの<象限③>流の製品・サービス開発手法であるとも考える。<象限③>にはIT系の製品・サービスが多いのだが、IT企業はたとえバグがあってもとにかく早く製品・サービスを市場にリリースして高いシェアを獲得し、バグは後からアップグレードで対応すればよいと考えている。こうした方法が許されるのは、<象限③>が「必需品でない&製品・サービスの欠陥が顧客の生命(BtoC)・事業(BtoB)に与えるリスクが小さい」からである。これと同じことを、顧客が製品・サービスの欠陥リスクに敏感で、高い品質水準を要求する<象限②>に持ち込むと、大変なことになる。

 冒頭で紹介した先日の記事の中でも書いたが、稲盛氏は解らないことは自分が納得するまで社員に質問するタイプであった。稲盛氏も告白しているように、稲盛氏は技術には通じていたが経理には明るくなかったため、経理担当者は頻繁に稲盛氏の質問のターゲットになった。稲盛氏から、「この数字は何なのか?」、「なぜこの数字になるのか?」と色々質問された経理担当者は、ある時「すみません、数字が間違っていました」と言って、消しゴムで数字を消して書き直そうとした。稲盛氏はその所業を見て烈火のごとく怒った。稲盛氏は、間違っていたから直せばよいという甘い考えで仕事をするなと厳しく指導した。

 前述の通り、京セラの製品は間違ったら後から直せないものばかりである。だから品質の作り込みを徹底した。そして、その品質の作り込みを本社の事務スタッフにも要求したのである。最近、品質問題を引き起こしている日本企業は、<象限③>のような考えで、間違っていたら後から直せばよいと高を括っており、会社全体として意識がたるんでいたのではないだろうか?