週刊ダイヤモンド 2017年 2/11 号 [雑誌] (子会社「族」のリアル)週刊ダイヤモンド 2017年 2/11 号 [雑誌] (子会社「族」のリアル)

ダイヤモンド社 2017-02-06

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 私も新卒で入社した企業が大手コンサルティングファームの子会社であったから(1年ちょっとしか在籍していなかったが)、本号に書かれている子会社”族”のぼやきは多少は理解できる。子会社族のぼやきは、①親会社からの出向社員と同じ業務をしているのに、あるいは親会社の社員と同じ業務をしているのに待遇が違うこと、②子会社の経営陣は親会社出身者で占められており、ガラスの天井が存在すること、の2点に集約されるように思える。

 私が新卒入社した子会社はシステム開発会社であり、親会社がコンサルティングで事業戦略や情報戦略を策定した後、子会社が戦略に従ってシステムを開発するというのが建前になっていた。しかし、私の業界研究が不十分だったのがいけないのだが、親会社は3,000人を超えるのに対し、子会社は300人足らずしかいない。コンサルタントが3,000人もいて、システム開発部隊が300人しかいないということはあり得ない。結局どういうことだったのかと言うと、親会社の社員の大半もプログラマやシステムエンジニアだったのである。子会社は、システム開発コストを削減するために設立されたようなものであった。

 子会社の新入社員も親会社の新入社員も、同じようにシステム開発プロジェクトにアサインされ、同じようにプログラムを書いていた。しかし、親会社は就業時間が決まっていて残業代が出るのに対し、子会社は基本給が低い上に裁量労働制が適用されていた。年間で計算すると100万円は給料に差がついたはずである。子会社とはこういう世界なのだということを、就職活動中の私は見抜けなかった(ただ、私が約1年で退職したのは、待遇に不満だったこと以上に、当時の経営陣があまりにノービジョン、ノープランだったことに憤りを覚えたからである)。

 ただし、今となっては、だからと言って親会社からの出向社員と同じ業務をしていても、あるいは親会社の社員と同じ業務をしていても、待遇を同じにせよとは思わない。親会社から子会社に出向しているのは、教育の一環であり、やがてその社員が親会社に戻った時に重責を担ってもらうためである。いわば先行投資だ。また、親会社がある事業や機能を切り出して子会社化したとしても、親会社は全社的な視点を身につけた社員を育てるために、分社化した事業や機能と同じ業務を親会社に残すことがある。この場合も、親会社は教育を目的として子会社の社員と同じ仕事をやらせているのであり、待遇の違いには意味がある。

 しかしながら、この話が成り立つには、親会社で使えなくなった社員の掃き溜めとして子会社が悪用されないことが前提である。親会社の戦略や業務にフィットしなくなった社員(特にミドルやシニア)は、その企業から退出していただくのが筋である。旧ブログの記事「高齢社会のビジネス生態系に関する一考(1)―『「競争力再生」アメリカ経済の正念場(DHBR2012年6月号)』(2)(3)」でも書いたが、今後の日本は人口ピラミッドの構造からすると、従来通り20代を底辺とし、60代を頂点とするピラミッドと、40代を底辺とし、70代~80代を頂点とする第2ピラミッドの2つから構成されることが予想される。親会社であふれた人材は、子会社になすりつけるのではなく、第2ピラミッドへと移行させることが重要であろう。

 子会社族のもう1つのぼやきである、「子会社の経営陣は親会社出身者で占められており、ガラスの天井が存在すること」については、このように答えておきたい。現在は7割が課長にすらなれないと言われている。親会社で経営陣になれる可能性も非常に低い。子会社で経営陣になれる可能性はほぼゼロだが、親会社で経営陣になれる可能性と比べても、ほとんど誤差の範囲であるに違いない。

 ブログ本館で、日本の巨大な重層型ピラミッド社会において、垂直方向の「下剋上」と「下問」を重視する私としては、親会社と子会社の望ましい関係を次のように考える。まず、子会社に出向した親会社の社員は、親会社の社員風を吹かせて偉そうに指揮命令するのではなく、「どうすれば子会社の社員が目標を達成できるようになるか?」と「下問」する。一方の子会社は、親会社の言うことを唯々諾々と聞くだけでなく、「我が社がこういうことをやれば、もっと親会社の業績向上に貢献できる」と親会社に「下剋上」する。単純な親会社>子会社という力関係だけではとらえられない両社の緊張関係が理想である。