こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント)のブログ別館。1,500字程度の読書記録の集まり。

道徳

『寧静致遠(『致知』2017年6月号)』―国家関係がゼロサムゲームである限り「信」を貫くことは難しい、他


致知2017年6月号寧静致遠 致知2017年6月号

致知出版社 2017-06


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 (1)
 古の王者は、四海を欺かず、覇者は四隣を欺かず、善く國を為(おさ)むる者は、その民を欺かず、善く家を為むる者はのその親を欺かず。善からざる者は之に反し、其の隣国を欺き、其の百姓を欺き、甚だしき者は、其の兄弟を欺き、其の父子を欺き、上は下を信ぜず、下は上を信ぜず、上下、心を離し、以て敗るるに至り。
 荒井桂「『資治通鑑』の名言・卓論に学ぶ人物学」より、司馬光の『資治通鑑』の一説を引用した。司馬光は、「信」があれば、周囲の国を欺くことはないと述べている。記事の著者の荒井氏はここで、『論語』にも言及している。子貢が「3つのうち1つ取り除かなければならないものがあるとしたら何ですか?」と孔子に質問したところ、孔子は「兵」と答えた。子貢が「残りの2つのうち1つ取り除かなければならないとしたら何ですか?」と尋ねると、孔子は「食」と答えた。最後に残ったのは「信」である。『資治通鑑』の内容と合わせて読むと、信義があれば兵を持つことなく、隣国とも良好な関係を保つことができる、ということになるだろう。

 だが、現実の世界はそのようにはなっていない。上記のような古典を持つ中国自体が、覇権主義を振りかざして南シナ海を手中に収め、さらには太平洋へと進出しようとしている。国内では信義を尽くすことが双方のためになるのに対し、国際社会ではこちらが下手に出ればかえってつけ込まれることは、ブログ本館の記事「『絶望の朝鮮半島・・・/言論の自由/世界を動かすスパイ戦(『正論』2017年5月号)』―緊迫する朝鮮半島で起こりそうなあれこれ、他」で書いた。

 国内で通用することがどうして国際社会では通用しなくなるのか?という点は、私の頭を悩ます問題の1つである。おそらく次のように考えることができるであろう。国内の人間関係の場合、相手に信義を尽くすことで相手の利益が大きくなり、それが自分の利益に跳ね返ってくるというWin-Winの関係性がある。これに対して、国際社会は基本的に国家による領土の奪い合いである。こちらが下手に出れば簡単に相手に奪われてしまうゼロサムゲームである。

 このように書くと、国家という枠組みがあるからそういう事態になるのだ、国家という枠組みをなくせばよいと左派は主張するだろう。しかし、世界で農業に有利・不利な気候があり、工業化に必要な資源が偏在しているという状況では、より有利な土地をめぐって国家が対立することは不可避であることは上記のブログ本館の記事でも書いた通りである。左派のユートピアが成り立つには、世界中どこに行っても気候や工業化などの条件が同一でなければならない。

 『資治通鑑』や『論語』の教えを現代に活かすには、領土争いのゼロサムゲームを、双方の国の利益が増すWin-Winのゲームに変える必要がある。単に貿易によって双方の経済が活性化するということ以上の利益が必要である。ただ、どうすればそれが実現できるのか、残念ながら今の私には十分な知恵がない。

 (2)中村学園大学教授・占部賢志氏の「日本の教育を取り戻す」という連載記事がある。安倍政権の教育改革によって道徳が科目化されたが、占部教授は以前から、道徳を1つの教科として独立させることに反対している。道徳が教えるべき価値観は、従来の国語、理科、社会などの科目の中で十分教えることができるし、また教師は価値観を教えられるよう授業を工夫すべきだと主張している。

 それをせずに道徳を単独の科目とすると、「いじめはよくない」、「思いやりが大切」といった抽象的なフレーズだけが子どもたちの頭に残る。そういう子どもが大人になると、今度は「安保法制反対」、「戦争反対」と口走るようになる。しかし、彼らは中国の軍艦が尖閣諸島付近で領海侵犯を繰り返し、北朝鮮がミサイルを立て続けに発射していることに対しては、一切反対の声を上げない。占部氏はこうした矛盾を鋭く指摘している。つまり、現在の道徳教育のままでは、具体性を伴った切迫感のある価値観が醸成されないというわけである。

 私はここで、企業が自社のビジョンや価値観を浸透させる研修やワークショップのことを考えていた。これらの取り組みも、一歩運用を誤ると、ビジョンや価値観を丸暗記するだけに終わってしまう。研修では、自社がビジネスの中で直面する具体的な課題を挙げて、ビジョンや価値観に従って意思決定した場合、どのような決断が最適なのかを徹底的に議論することが重要であろう。あるいは、過去の成功例・失敗例をつぶさに分析して、どのような価値観が成功・失敗のカギを握っていたのかを考えさせることも有効である。とにかく、空理空論に終わらないよう、研修と現場での実践とをリンクさせなければならない。

 もう1つ重要なのは、技能・スキル・知識の習得を目的とする研修に、自社のビジョンや価値観を反映させることである。ビジョンや価値観の研修を行っている企業は多数あるが、一般の研修にビジョンや価値観を反映させている企業はそれほど多くないと感じる。なぜ我が社ではこのような技能・スキル・知識が必要なのか?その技能・スキル・知識を用いてどのような業務を行うのか?その業務は我が社のどのような価値観に基づいて設計されているのか?研修の企画担当者は、これらの問いに答えることが要求されるだろう。

『成功の要諦(『致知』2015年3月号)』


致知2015年2月号成功の要諦 致知2015年3月号

致知出版社 2015-02


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 安倍政権になってから「道徳の教科化」が進められており、小・中学校の学習指導要領には「道徳」という章が設けられている。他の教科と並列にせず、道徳だけで単独の章とするあたりに、安倍政権の力の入れようが表れている。

 小学校学習指導要領
 中学校学習指導要領

 学年に応じて内容は異なるが、全学年に共通しているのは、道徳教育の目標を以下の4つの視点から設定していることである。
 【視点1:主として自分自身に関すること】
 自己の在り方を自分自身とのかかわりにおいてとらえ、望ましい自己の形成を図ることに関するもの。
 【視点2:主として他の人とのかかわりに関すること】
 自己を他の人とのかかわりの中でとらえ、望ましい人間関係の育成を図ることに関するもの。
 【視点3:主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること】
 自己を自然や美しいもの、崇高なものとのかかわりにおいてとらえ、人間としての自覚を深めることに関するもの。
 【視点4:主として集団や社会とのかかわりに関すること】
 自己を様々な社会集団や郷土、国家、国際社会とのかかわりの中でとらえ、国際社会に生きる日本人としての自覚に立ち、平和的で文化的な社会および国家の成員として必要な道徳性の育成を図ることに関するもの。
(「有限会社教育評価研究所」HPより)
 道徳の教科化に対しては色々な批判が見られる。私なりに大別すると(1)道徳そのものを学校で教えることに反対するもの、(2)学習指導要領に定められた道徳の内容に問題があるとするもの、(3)道徳の学習成果をテストで数値化することに反対するもの、(4)道徳教育には賛成だが、道徳を単独の教科として切り出すことに反対するもの、の4つに分けられると思う。

 (1)に関しては、道徳というのは、本来は家庭や地域社会の中で身につけるべきだということを思い出す必要がある。それができていないから、学校で道徳教育を行うわけだ。もし、学校での道徳教育に反対するのならば、家庭やコミュニティが望ましい機能を取り戻すための方策を提案しなければならない。

 しかし、それは容易なことではないと思う。両親の共働きが増え、3世代世帯が減り、地域コミュニティの解体が進んでいる現代では、かつての家庭像やコミュニティ像にしがみつく牧歌的な主張は通りにくい。家庭やコミュニティで道徳が教えられないから、学校で教える。すると、学校の負担が重くなってその他の教科を十分に教えることが難しくなる。よって、文部科学省も認めているように塾が補完的な役割を果たす。これが現代の実情に合わせた教育のあり方である。

 (2)に関しては、特に郷土愛や愛国心に関する教育が問題視されているのだろう。しかし、これは教え方の工夫でカバーできるはずだ。愛とは、対象のいいところだけを無条件に褒め称えることではない。そういう「○○万歳」的な教育を行うとどういう国民ができ上がるかは、隣国が既に証明済みである。対象には欠陥もあることを認めつつ、それでもなお対象を受け入れることが本当の愛である。

 (3)の批判に対してだけは、私も同意見である。安倍政権は、道徳はテストで数値化しないという方針を打ち出しているものの、市中には既に道徳のテストが出回っている。例えば、有限会社教育評価研究所が1990年代から販売している「HUMAN III 新道徳性検査」などがそうである。道徳は他の教科と違って、実践や他者との交流の中で磨かれるものである。したがって、個人が頭で取り組むペーパーテストは(たとえ論述式であっても)馴染まないだろう。

 (4)のような批判が、『致知』2015年3月号に掲載されていた。
 道徳は国語や歴史で教えよというのが私の持論です。管理する側からは、本当にやっているかは把握できにくいので困るでしょうが、教える側から見れば、国語や歴史教育から切り離した道徳はありえない。『私たちの道徳』を見ても、取り上げられている読み物教材の多くは、教科でやれる内容です。いや、やるべきなのです。
 こういう考え方もあるのかと非常に参考になった。ただし、仮に道徳を国語や歴史の中で扱うとしても、結局は頭の中の理解だけにとどまってしまう。(3)で述べたように、道徳は実践や他者との交流の中で磨かれるとすれば、プラスアルファの教育が必要なのではないだろうか?例えば、これは全くのアイデアで学校側の負担を考慮していないのだが、夏に2週間クラス全員で共同生活を実施してコミュニティを擬制する、といった取り組みが考えられる。

 本当のことを言えば、こういうことをやるのは家庭や地域社会の役割である。しかし、(1)で述べたように、家庭や地域社会が機能不全に陥っており、その機能を取り戻すことは非常に困難である。よって、学校がやるしかないのである。
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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、1,500字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
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