ラオス―インドシナ緩衝国家の肖像 (中公新書)ラオス―インドシナ緩衝国家の肖像 (中公新書)
青山 利勝

中央公論社 1995-05

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 ラオスは第2次世界大戦後にアメリカの植民下に入ったが、ほどなく米ソ代理戦争の場となり、右派、中立派、左派が入り乱れる状態となった。政治中立化を目的として第1次ジュネーブ協定(1954年)、第2次ジュネーブ協定(1961年)が結ばれたものの、アメリカが右派を軍事的に支援したり、右派主導の政権樹立を目指したりしたため、交渉が難航した。ラオス人民革命党の無血革命によってラオス人民民主共和国が成立したのは1975年のことである。

 従来の帝国主義は、武力行使によって外国を物理的に支配し、自国の領土を拡大するものであった。ところが、第2次世界大戦の反省を踏まえて、武力行使による領土拡大は国際法的に違法とされた(それでも、ロシアによるクリミア編入などの例はある)。しかし、帝国主義は死んでいない。領土の物理的拡大は不可能になったが、自国の影響範囲を広げたいという大国の欲求は消えていない。その欲求を満たすため、大国は自国と理念や価値観を同じくする国を作り出す。

 周知の通り、アメリカは自国の理念である自由、平等、基本的人権、民主主義、市場原理、資本主義を世界中に広めようとしている。そして、必要ならば外国の政治・経済システムに介入し、アメリカにとって都合のよいシステムに作り変える。アメリカは現代型の帝国主義国である。そしてこれは、ロシアや中国にもあてはまる。ロシアや中国は、近代的な帝国主義と現代的な帝国主義を合わせ持つ。冷戦は終わっても、彼らは社会主義の実現を決して諦めていない。

 大国の理念や価値観をめぐる対立の現場となるのが、大国に挟まれた小国である。ラオスも例外ではない。小国にはまず、対立する大国の一方につく、という選択肢がある。しかし、万が一その大国が倒れたら、自国も道連れにされるリスクが高い(大国は体力があるので、自国の理念が死んでも再起できる)。よって、小国にとって現実的な選択肢は、対立する大国のいいところどりをして、自国の政治・経済システムをどちらの大国寄りにもしないことである。

 ラオスは社会主義国となった際、王制を廃止した。だが、本書によれば、ラオス人には王政への憧れが残っているという。だから、1994年にタイのプミポン国王が27年ぶりの外国訪問でラオスを訪れた時には、ラオス国民は大歓迎した。本書の著者は、ラオスが「王政下の社会主義体制となってもなんの違和感もない」と述べている(君主を否定する共産主義のイデオロギーに対して、どのような理論をもって王政を組み込むのか?というテーマは興味深いが)。

 また、ラオスは共産主義国であるにもかかわらず、敬虔な仏教国(上座部仏教)である。無血革命の直後こそ、仏教徒の迫害や寺院の破壊が行われたが、1980年代から寺院も少しずつ修復されている。現在でも、僧侶が人々の生活の規範を示したり、生き方を教えたりする存在として人々から尊敬を集めているそうだ。

 社会主義国なのに王政への憧れを保ち、仏教を厚く信仰する。つまり、保守・伝統主義を残している。ロシアの社会主義者が見たらきっとぶっ倒れるのではないかと思うのだが、それがラオスなのである。様々な制度を”ちゃんぽん”にし、対立する大国の双方とつかず離れずの関係を保ちつつ自国の文化を保存するという、小国の戦略の一端が見えるような気がする。