神経・精神疾患診療マニュアル (日本医師会生涯教育シリーズ)神経・精神疾患診療マニュアル (日本医師会生涯教育シリーズ)
飯森真喜雄 内山真一郎

南山堂 2013-11

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 このように考え方を修正する必要がある患者に対して、精神科医は精神療法という手法を通して、多くの場合は年単位をかけて治療していくが、その間に患者は大抵怠薬して病状が悪化するといった失敗をする。しかし、患者は失敗を通して自分の疾患と向き合い、理解し、適切な行動変容に至るので、失敗は必ずしも悪ではなく、「失敗を上手に扱う」さらには「上手に失敗させる」技術と度量が求められる。
 私も自分で勝手に服薬を止めて痛い目にあったことがある。私が最初に通院していたクリニックの先生は、人見知りで対人関係が苦手な私から見ても、さらに人見知りで対人関係が苦手そうな先生で、コミュニケーションが上手く取れなかった。先生は私との会話が途絶えると、しばしば深いため息をついた。朝一番の診察では、先生が控室から白衣を着ながらあくびをして入って来ることもあった。先生のそのような一挙手一投足が、私にとっては非常に苦痛であった。

うつ病の経過グラフ

 (「どのような経過をたどるの? | 理解する | うつ病 | メンタルナビ」より)

 毎回、上のようなグラフを見せられ、「一番調子がよかった時の状態を100%とすると、今は何%ぐらいですか?」と聞かれた(実際には上のような複雑な形状のグラフではなく、放物線みたいなもっと簡単なグラフであった)。私が「50~60%ぐらいです」と答えると、「それでは引き続き薬を飲んでください」と言われて診察が終わってしまった。「私の自己判断に頼るのであれば、医師は何のためにいると言うのか?」と疑念が生じ、だんだんと通院するのが嫌になった。

 ただでさえ人に会うのがしんどいのに、先生がこんな調子だったため、通院を避けたい私は「もう100%です。治りました」と主張するようになった。そして、自分で勝手に治療を止めてしまった。後から振り返ると、これが大きな間違いであった。私がすべきだったのは、治療の中止ではなく、転院先を探すことであった。

 引用文にもあるように、この病気の治療は年単位に及ぶ(そういう意味で「心の風邪」という比喩は間違っていると思う。風邪なら3日程度で治るが、この病気はそうはいかない)。だから、たとえ病気で心身ともにしんどくても、信頼のおける先生を根気強く探すことが重要である。そこだけは労力をかけなければならない。

 近年、「新型うつ病」、「非定型うつ病」という病気が提示されるようになっている。しかし、本書はこれらの疾病に対して辛辣である。通常のうつ病は、自責的になり何もする気にならない、というのが一般的な症状である。これに対し非定型うつ病は、他責的になる、自分の好きなことだけはできる(だから旅行には嬉々として出かける)、といった特徴が挙げられる。

 本書は、うつ病の典型的な治療方法が、非定型うつ病には逆効果であると指摘する。まず、定型であれ非定型であれ、病気と診断されることで、心身の不調の責任を病気に転嫁することができる。その責任転嫁が対人関係にもおよび、他責的になる。また、うつ病の治療では、休息ばかりだと1日中やることがなくなってかえって生活のリズムが崩れることがあるため、好きなことは少しでもやった方がよいとアドバイスされる。しかし、これと同じことを非定型うつ病の患者に言うと、自分の好きなことだけをやればよいと勘違いして、旅行に出かけてしまう。

 本書では、非定型うつ病の治療に関して次のように述べられている。
 薬物療法は基本的に不要であり、処方するとしても対処療法にとどまる。患者に薬を飲んでいれば自然によくなると思わせてはならない。職場にも多少の問題はありそうだが、本人の努力も必要であると、抑うつ状態の原因の一端を本人にも引き受けてもらうことが重要である。
 実は私も、最初の頃は非定型うつ病と診断されていた。前述のクリニックに通わなくなった後、案の定病気が再燃したため、別のクリニックに通うようになった。通常、うつ病では不眠になるのだが、私の場合は過眠がひどかった。平日も毎日10時間ぐらい寝ていたし、休日は15時間寝るのが当たり前になっていた。

 また、不安よりもイライラが強く、毎日夕方になると頭痛に悩まされた。それでも、全てのやる気を失ったわけではなく、ギリギリのラインで仕事を続けることはできていた。そういう話をしたら、普通のうつ病ではなくて、非定型うつ病だと診断された(ただし、私は旅行には行っていないし、到底行く気分ではなかった)。

 それ以来、てっきり自分は非定型うつ病だと思い込んで治療を続けていた。ところが、それから3年ほど後に、一時的に病状が悪化して入院した際、担当医にこれまでの病歴を話したところ、「ところで、非定型うつ病とは何ですか?」と真顔で聞かれた。この先生はベテランの精神科医である。その先生が言うには、非定型うつ病というのは医学的に確立された概念ではないそうだ。「早く教えてほしかった」というのが本音である。入院中に今までの治療法を一旦リセットし、通常のうつ病と同じ治療法を受けるようになってからは、病状が安定し始めた。

 他責的という部分に関しては、多少読者の皆様に同情してもらいたいところがある。私は前職(ベンチャー系の人事・組織コンサルティング&教育研修会社)の社長から、「もう休め」と命じられて休職していた時期がある。ところが、私が担当していた仕事を代わりにやる社員がいないという理由で、休職中も普通に仕事をしていた。給料は休職中という理由で削減されているにもかかわらず、である。

 これでは休職するだけ損だから、職場に戻してほしいと私は何度も社長に訴えた。しかし社長からは、「君が休職して以来職場の雰囲気がギスギスしているから、戻るなら君が彼らとのコミュニケーションを円滑にすることが条件だ」などと言われた。当時の社員は、皆私より職位も年齢も上の人たちばかりである(若手の一般社員がおらず、皆が管理職といういびつな組織だった)。そんな彼らが、私がいなくなったことでコミュニケーション不全に陥ったというのがまず理解できなかった。その上、その問題を私に解決させようというのがさらに意味不明であった。

 しかし、私もこのままでは単に安い金でいいように使われているだけなので、社長と4回ほど交渉し、職場復帰に至った(これはかなり心理的負担が大きかった)。ところが、それから半年ほど経った頃、会社の業績不振を理由に、私は整理解雇の憂き目を見た。前職は一番社員が多かった時期で50人ほどいたのだが、リストラや転職が相次ぎ、さらには逃亡して行方不明になった人などもいて、最後は10人ほどになっていた。とうとう私にも解雇の手が及んだというわけだ。

 通常、整理解雇の場合は、会社が作成する離職票に「事業主の都合による解雇」と記入しなければならない。だが、どういう訳か私の離職票には「一身上の退職」と記入されていた。またしてもこの会社は法律違反を犯すのかと私は憤り、社長と交渉することにした。最終的には、離職理由を書き換えてもらったのだが、こんなに不毛で心身ともに疲弊する話し合いは二度としたくないと思った。もっとも、離職後すぐに個人事業主として独立したため、離職理由が自己都合だろうと会社都合だろうと、失業手当は1円ももらわなかったという点では変わりがない。

離職票

 (※私の実際の離職票。前職の苦しみを忘れないために今でも保管してある)

 以上が、私が中小企業診断士として独立するに至った経緯である。何か高邁なビジョンや目的があって独立したわけではないので、全く褒められた話ではない。ただ、こういう経験をしたため、前職のような企業を生み出してはならないと自分を戒めているし、社員をもっと大切にする経営のお手伝いをしたいと考えている。