戦略的組織革新―シャープ・ソニー・松下電器の比較戦略的組織革新―シャープ・ソニー・松下電器の比較
河合 忠彦

有斐閣 1996-02

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 20年以上前の本を今さら読んでみた。アメリカ流の一般的・伝統的な戦略論に従えば、まずは経営陣をサポートする企画スタッフが事業環境に関する大量のデータを客観的に分析して、どこに戦略的機会があるのかを発見し、その機会をものにするためのビジネスモデル、ビジネスプロセス、組織構造、人材配置、人事制度、IT投資、予算の配分などを計画して経営陣に進言する。経営陣はその計画に多少の修正を加えた後で計画にゴーサインを出し、トップダウンで戦略を企業全体に浸透させるというものである。

 一方、著者の戦略観はこれとは異なる。確かに、トップダウン型の戦略は存在する。経営陣が事業環境を大局的に見回して、大きな戦略的構想を練り上げ、全社的に展開する。これを「包括的戦略」と呼ぶ。一方、ミドルマネジメントも戦略を立案する。ミドルマネジャーは個別の顧客に密着しており、具体的なニーズを吸い上げるのに長けている。その情報に基づいて、顧客ニーズの変化に柔軟に対応できる戦略を考案し、局所的に実行する。これを「創発的戦略」と呼ぶ(これは明らかにヘンリー・ミンツバーグの影響を受けたものと思われる)。強い企業は、この包括的戦略と創発的戦略が相互に作用しているというのが著者の主張である。トップダウンの経営だけではなく、ミドルマネジャーによる「ミドル・アップダウン」の流れを指摘した金井壽宏氏の主張にも通じるところがある。

 ただし、包括的戦略と創発的戦略のどちらがより強く作用するかは、製品・市場のライフサイクル上のステージによって異なると著者は言う。市場の創成期においては、トップとミドルが緊密に協力する必要があることから、包括的戦略と創発的戦略の両方が必要となる。成長期に入ると、市場構造が大きく変化するため、マクロ的な視点からトップが包括的戦略を展開することの方が重要になる。成熟期になれば、顧客ニーズに関する情報が十分に手に入る。よって、今度は創発的戦略の方が強く作用する。衰退期に入ると、このまま残存利益を収穫しつつ事業規模を縮小するのか、あるいは新規事業を立ち上げるのかという構造的な意思決定を下す必要があることから、包括的戦略の方が強くなる。

 本書は、80~90年代にかけて、シャープ、ソニー、パナソニック(当時は松下電器)がデジタル化の波に対して、戦略的にどのように対応したのかを分析した1冊である。デジタル化という構造的な変化が押し寄せていることから、包括的戦略が強い企業の方が業績がよいという仮定を置いている。その上で3社の戦略や各種施策を紐解いていくと、事業部の力が強く創発的戦略が生まれやすかったパナソニックが最も遅れを取っており、カンパニー制で分権化に着手していたソニーはまずまず、一番優れているのは液晶に特化してトップダウンのリーダーシップを発揮していたシャープであるという結論に至った。

 これは、現在の3社の業績を知っている我々からすると意外な結論である。周知の通り、現在この3社の中で最も好調なのはパナソニックである。ソニーは一時期大変な苦境に陥り、最近持ち直しつつある。シャープは倒産寸前まで行ってしまい、台湾の鴻海精密工業に買収された。なぜこのような差が出たのか、後知恵になるが私なりに説明すると次のようになる。

 まずパナソニックだが、家電というBtoCビジネスからBtoBビジネスに軸足を移した。ブログ本館の記事「『構造転換の全社戦略(『一橋ビジネスレビュー』2016年WIN.64巻3号)』―家電業界は繊維業界に学んで構造転換できるか?、他」でも書いたように、私が好んで用いる製品・サービスの4分類のマトリクスに従えば、家電は「必需品である&製品・サービスの欠陥が顧客の生命に与える欠陥が小さい」という左下の<象限①>に該当する(もちろん、家電の事故でユーザーが死傷することはあるが、たいていの場合は製品の劣化や製品の誤った使い方によるもので、企業側の責任は小さい)。<象限①>は低コストが武器の新興国企業の主戦場になりつつあり、先進国企業が戦うことは難しくなっている。

 そこで、パナソニックはBtoBビジネス中心のビジネスモデルへと転換した(家電を完全に手放したわけではない)。BtoBの市場は、製品・サービスの4分類のマトリクスにおいては、「必需品である&製品・サービスの欠陥が顧客企業の事業に与えるリスクが大きい」という右下の<象限②>に該当する。BtoB市場へのシフトにあたって、パナソニックは、ITソリューションのように、先行者が既に存在し、市場が成熟している分野を敢えて選択したように思える。前述の通り、成熟市場では創発的戦略の方が有効である。そして、当初はパナソニックの弱みと思われた事業部制が、BtoBの成熟市場では強みに転じたのである。一般的には組織が戦略に従うのだが、パナソニックの場合は戦略が組織に従ったと言える。

 次にソニーであるが、ソニーはウォークマンに代表されるイノベーションを次々と世に送り出し、音楽や映画といったコンテンツ産業にも強いことから、製品・サービスの4分類のマトリクスに従えば、「必需品でない&製品・サービスの欠陥が顧客の生命に与える欠陥が小さい」という左上の<象限③>に軸足を置く企業である。近年、イノベーションの寿命はますます短くなっており、企業は次々とイノベーションを投入しなければならなくなっている。つまり、常に市場の創成期に直面しているわけであり、包括的戦略と創発的戦略が融合していなければならない。ところが、ソニーはカンパニー制を導入してパナソニックの事業部制よりもより強固に分権化を進めてしまった。これによって、包括的戦略の出番が極端に限られたことが、ソニーを苦しめた要因だと考えられる。

 最後にシャープである。シャープは液晶テレビに社運を賭け、「日本中のテレビを液晶に置き換える」と息巻いていた。だが、液晶であろうと何であろうと家電であることには変わりがない。液晶技術はテレビという分野における連続的な技術進化に過ぎない。テレビ市場それ自体は、日本においては既に成熟し切っていたのである。だから、本来であれば創発的戦略の出番であった。ところが、シャープの場合は包括的戦略が主導権を握り、トップダウンで大型の設備投資を次々と実行した。結局、それが裏目に出てしまった。

 では、鴻海精密工業に買収されてから何が変わっただろうか?実はほとんど何も変わっていない。相変わらずトップダウンで大型の設備投資を行い、液晶テレビを世界中で大量生産している。しかしながら、それが功を奏してシャープの業績は回復した。これは次のように解釈できるであろう。まず、<象限①>に該当する家電事業を先進国である日本の企業ではなく、新興地域である台湾の企業が握ったことが大きかった。さらに、買収前のシャープは日本市場を中心に見ていたのだが、前述の通り、日本市場に限って言えば市場が成熟していた。これに対して、鴻海精密工業は世界中をターゲットとした。日本市場から世界市場に目を転ずれば、液晶テレビの市場はまだまだ成長期にある。よって、トップによる包括的戦略が有効になったというわけである。