デジタル・ビジネスデザイン戦略―最強の「バリュー・プロポジション」実現のためにデジタル・ビジネスデザイン戦略―最強の「バリュー・プロポジション」実現のために
エイドリアン・J. スライウォツキー デイビッド・J. モリソン Adrian J. Slywotzky

ダイヤモンド社 2001-11

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 8年前に旧ブログの記事「スライウォツキーの戦略論は面白くて好きだ-『プロフィット・ゾーン経営戦略』」で紹介したことがあるエイドリアン・スライウォツキーの著書。17年前とかなり古い本なのだが、読んでみたら今でいうところのオムニチャネルやIoTのことが既に書かれていた。

 例えば、アメリカの証券会社チャールズ・シュワブは、2000年代のドットコムバブルの時に、多くの新興企業がオンライン証券会社を立ち上げ、格安な手数料で既存企業に勝負を挑んできたのに対し、敢えて実店舗とオンラインチャネルの共存という戦略を打ち出した。というのも、新興のオンライン証券会社はデイトレーダー的な個人投資家をターゲットとしていたが、チャールズ・シュワブの顧客は長期間にわたって株を保有し続ける年配の富裕層が多かったためだ。

 こうした富裕層は、まずはチャールズ・シュワブの実店舗で口座を開き、財産状況や投資の性向などに応じて適切な投資銘柄やポートフォリオをアドバイスしてもらう。その後、オンラインチャネルに移って実際の株式を売買する、という行動を取った。これはオムニチャネルと呼んでよいだろう。その結果、同社の手数料は、最大のライバルであるEトレードの2倍ほどするにもかかわらず、総資産額は順調に増加を続け、同社の収益増に大きく貢献した。

 もう1社の事例はGEである。GEエアクラフト・エンジンズは、航空会社などが特定データを電子的にアップロードすると、自社製の航空機エンジンについて数百項目について監視できるシステムを作り上げた。エンジンの最新動向、欠陥の状況、整備に関する提案や問題解決方法がシステムを通じて毎日、毎週提供され、必要に応じて直ちにサービス担当者を派遣する。本書執筆時点では、ユーザ企業側が航空機エンジンに関する情報を自らアップロードする必要があったようだが、これはまさに今で言うところのIoTの先駆けである。

 ただ、時間の流れと言うのは残酷なもので、現在この2社はともに苦境に立たされている。チャールズ・シュワブに関して言えば、顧客がインターネットなどで投資に関する知識を身につけるにしたがって、実店舗の存在価値が下がり、オンライン取引手数料の価格競争に巻き込まれることになった。同社のETF取引手数料は業界最低水準まで下がっている。代わりに、実店舗で富裕層向けに提供するサービスの手数料が上昇し、これが富裕層の不満を買っている。そこで同社は、ロボットアドバイザリーを導入して手数料を抑えることにした。オムニチャネルの場合、どうしてもオンライン専業企業よりも割高になる。その価格に見合った価値を顧客に提供できているかを常にチェックしなければならない。

 GEはもっと深刻である。今年の1月に同社が発表した決算によると、2017年10~12月期決算で最終損益が98億2600万ドルの赤字(約1兆円)であった。先ほど紹介した航空機エンジンの事業は好調だったものの、同じくIoTを導入している発電タービン事業が大きく足を引っ張った。同事業では、顧客企業がもっと出力の小さい発電タービンへとニーズが移行していたのに、同社のIoTではその情報を吸い上げることができなかった。IoTで膨大な情報を収集しているのだから、顧客ニーズの把握は十分だと過信してはいけないことを教えてくれる例である。むしろ、情報をシステムで多角的に集めれば集めるほど、業界や市場に変化をもたらす重要な情報はシステムの外部からやってくると思った方がよい。だから、経営陣は常に現場に足を運び、自分で直接見聞きすることが重要である。

 本書が教えてくれるもう1つの重要な教訓は、一連の顧客体験をどのように設計すれば総合的な顧客価値が上がるのかを検討する必要があるということである。顧客体験とは、例えば本を購入する場合を考えてみると、「調べたいこと・知りたいことを思いつく⇒本屋に行く⇒目当ての本を探す⇒類似の本の中身を比較検討する⇒本を購入する⇒本を家に持ち帰る⇒本を読む⇒メモを取る⇒メモをまとめる⇒感想を共有する⇒本の内容を思い出す」といった具合になる。単に本を買って読むだけではなく、その前後、すなわち購入を検討するプロセスや、使用した後のプロセスも視野に入れることが大切である。

 ここで、それぞれのプロセスについて、「顧客にやってもらうのか、顧客の代わりにやってあげるのか?」、「デジタルな方法で実現するのか、アナログな方法で実現するのか?」を考える。全てのプロセスを顧客にやらせ、アナログな手法に頼るのが従来型の書店である。そこに殴り込みをかけたのがAmazonであり、一連の顧客行動のほとんど全てをデジタルな方法で実現した。しかも、顧客が「調べたいこと・知りたいことを思いつく」前に、Amazonの方から購買履歴情報を基にお勧めの本の情報を教えてくれるし、「本を家に持ち帰る」というプロセスも、Amazon(正確にはAmazonが契約している運送業者)が肩代わりしてくれる。これによって、Amazonの提供する顧客価値は飛躍的に高まった。

 ただし、Amazonにもまだできていないことはある。例えば、「類似の本の中身を比較検討する」については、一部の本について中身検索ができるようになったものの、基本的には顧客が自分でやらなければならない。また、「メモを取る」という行為は、Kindleによってデジタルな手法で実現されたが、そのメモを自動的にまとめて自分専用の要約を自動作成してくれる機能はない。おそらく、Amazonはこの機能を実現するためにAIに相当投資しているだろう。さらに、「本の内容を思い出す」というプロセスについては、Amazonですら手つかずであり、未だに顧客自身によるアナログな行為に委ねられている。このように考えると、まだまだビジネスチャンスは残されていると言えるだろう。

 逆に、何でもデジタルな手法で解決しようとするAmazonを敬遠する人も一定数いるわけで、既存の書店などはこうした人々を取り込んで新しい顧客価値を設計しようとしている。例えば、紀伊國屋書店は、「Amazon嫌い」な人たちを集めて、Amazonのどこが嫌いなのか、逆に紀伊國屋書店のどこが好きなのかをヒアリングした。その結果を店内のPOPの内容に反映したり、顧客に本を紹介する店員の接客態度を改善したり、書店での読書会を拡充したりといった取り組みにつなげている。Amazonがデジタルな手法中心で、できるだけ顧客に手間をかけさせないことで顧客価値を高めているのに対し、紀伊國屋書店は逆にアナログな手法中心で、敢えて顧客に手間をかけさせることで顧客価値を高めている。

 これはどちらがよいという問題ではない。自社の顧客のニーズや嗜好、特性、性格、価値観、行動様式などをよく踏まえた上で、どのプロセスは顧客にやってもらうのか、逆にどのプロセスは自社が顧客の代わりにやってあげるのかを決める。また、顧客にやってもらうにせよ、顧客の代わりにやってあげるにせよ、デジタルな手法に頼るのか、アナログな手法に頼るのかを決める。前述の通り、顧客の体験というのは、企業が思っているよりもはるかにずっと長いプロセスの連続である。そのそれぞれのプロセスを1つ1つ丁寧に点検し、丹念に作り込んでいくことが、顧客価値向上のカギである。